2007.03.12

SV400Sのプラグ交換(その2)

まずタンク外し……と言いたいところだが、この作業の後にサービスマニュアルを購入して眺めたところ、タンクを外さなくてもよいことが判明しますた。ヒモも外す必要ナシ。
なんとタンデムシート下に、タンクを支える衝立が収納されてるとのこと。タンク後端を軸に、衝立をタンク前のボルト穴とステアステムナットの穴にかまして支えろとの指示アリ(古いクルマのボンネットにありがちな、棒を立てて支えるアレですな)。
そんな道具があるなんて、言われるまで気付きませんでしたがな。

一応、お伝えするとタンク外す際に、タンクから抜くべきヒモは4本。
燃料系2つ、ブリーザー、燃料警告等の電装系。

後ろバンクのプラグは、見てそのまんま。黙って外す。
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まぁ、2ストではないから、5000キロ交換推奨でもなんとなく使い続けてたわけだが、さすがに20000キロはなぁ。イマドキ、頭がもげるとかの類の話は、滅多にないからいいんだけど(エンジンとキャブをいじってないかぎり)。熱価を変えるなんてのも遠い昔の話だなぁ。
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ついでにエアクリーナーエレメントの交換。
一般的な交換時期だし。
ボックスの中にはなぜかオイル池が。キミ、何?
オイルのブリーザーから?
【追記】正解はブローバイガス。言われてみれば確かに。納得。
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あぁ、新品と比べるとけっこう違いますな。
2万キロでこんな感じ。
今後の目安にもなる、じつは何気に貴重な一枚。
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前バンクのプラグ交換。
まず、ラジエターを支持するボルトを外す。
下のボルト1本と上のボルト左右2本(ここで横着して上側ボルトを「緩める」だけにしちゃイケナイ)。
ついでに、なぜかラジエター直前というバカ位置に居座るホーンも外す。でないとフィンが一面グキッと曲がる悲劇が起こること必至。
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左右のカウルで支えてるポッチも外そう(このために左右カウルの留めネジをすべて外す必要が生じる)


あとは、ラジエターのホースを伸ばしつつ、ラジエター本体を前に動かす。そしてそれでできた隙からプラグレンチを強引に突っ込む。前に向かって右側からね(冷却ファンが邪魔だけど)。
ここで使うプラグレンチ、車載工具の「ジョイント付き」プラグレンチを使用しないとまず入らない。車載工具のプラグレンチがなぜか2本ある理由がここで判明。
フィンに傷を付けずにレンチの頭をブチ込むのに必死だったので、写真はないw。

(つづくかも)

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2007.03.05

SV400Sのプラグ交換(その1)

中身をよく知らん単車を触るのはメンドクサイ。
それが、たとえ単純作業でも。

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ワタシのいまの単車である、スズキのSV400S(自称:ドアラ号)。
上記の理由で、乗り出して1年半ほど経ったのにもかかわらず、いまだ「シートすら外したことがない」という放置っぷり
400ccはフクザツそうだし、また、おっさんになると腰が重くなるのだ。まぁ、今の単車はそれでも走るからいいんだけど。車検もあるし(もっとも、チェーン張ったりとかキャリパー外して洗ったり程度はしてましたけどね)


気付いたら、都合よく走行距離が先週の名古屋往復で2万キロを超えてた。いつの間にか。
ここでイロイロ換えておくと、後がラクだ(たいていの消耗部品は、走行キロ数で交換時期が記されているから。キリいい数字だと忘れにくい)。
という訳で、イマイチな気分をなんとか乗せながらも、洗車と注油ついでにフツーに換えるべきものを交換してみることに。
といっても、大層なバイクいじりじゃなくって、プラグとエアクリーナーエレメントを換えるだけなんだが。
基本中の基本だが、それでもおっさんにはメンドクサイのである。

プラグを換える。
単気筒の単車なら10分くらいでスチャっと終わるモンですな。
実際、50ccだろうと250ccだろうとそんな程度の作業時間だし、以前に乗ってたV型2気筒エンジンでも、大して変わんない。
あぁ、そのつもりだったよ。
だけど、先週の遠乗り直前にようやく換えようという気になって、メガネレンチを片手に車両をじっくり眺めてみた。
そのときに、ようやく気付いて頭抱えたですよ。
このビグザム様ったら、プラグを換えるごときにタンクとラジエターとカウルを外してくださいっておっしゃる訳ですよ。


やめてください。
お願いですから。
(この話、つづく)


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2007.01.04

スタジオボイス 2006年12月号

90年代カルチャー回顧らしい。
当時の私は、何となくその線の世界を指咥えて傍観しながら、ちょっと片足突っ込んだりしつつも、その実はなんかイロイロあって、なぜか花卉卸売市場の早朝肉体労働バイトしてたりとか、なぜか南部連合旗を掲げる飲み屋に無い金持って通って、フォークブルースなんかの修行してたりとかで、同時代にイマイチ乗り切れなかった観は無くも無い。まぁ、事情あってそういうプリミティブな方面の体験をしなきゃいかん時期だったので、それはそれで意味あるものだったからいいんだけど。

何か当時、80年代的な差異化と最先端であることをヨシよする意味コードに支配される価値観がまだ残っていたというか、マルチメディアだのオルタナだのゲームだのの新しさですら、その俎上に乗って存在自体を判断される田舎的状況と、自分のなかでいろんな物事は選択的でいいというかなすがままでいーじゃん、という同時代性の放棄もあったりで、個人的には殻に篭って汲々とちっちゃな世界にある目の前の新しいコトとか面白いコトだけをなりゆきのまま選んでたような気がする。
90年代のまっ只中を大学生という立場で過ごしていたのだが、なんかいろんなことにアンチを唱えつつ、バカ学生のクセに頭もよくなりたい、とかモテたいとか、オレハコノママデイイノダロウカとか悶々と考えながら、サリンだのサカキバラだのの、暗黙のうちに世を支えていた規範にカウンターパンチを浴びせるエクストリームな時代の事象を横目に、何かが変りそうな予感「だけ」を追っていたんだな。今にして思うと。
当時、もちょっと若かったら違った見方ができたのかもしれないけど。そこが乗り切れなかった理由といえば、理由になるのかもしれない。


差異コードの残存って意味では、当時、ネットカルチャー時代のジャーナリズム誌として現れ、世の中の“自称ギーク”な方々がみんな持ち上げていた"Wired"だって、当時――そして今読んでも――本当に内容が面白かったのは、下世話な方面まで視野に含め始めたタテ組みになった後期「こばへん」時代だしねぇ(誰ですか? メディアはマッサージであるとか、金科玉条みたく今でも唱えている人は)
ネットに限らずなんだけど、ちっちゃな枠で収まって完結する類の、内輪のジャーゴンな文化がとても居心地が良かった記憶があるし、それは今でも変らないことかも。いや、時代的っていうか、単に個人的な話なのだけど。9600bpsな草の根世界って面白かったよねっていうか、今とまんま繋がるケーススタディが、その時代にすでに顕われてて愉快だったよね、とか。
個人的には、そういう可視的(いや、ネットは厳密には可視的ではないんだけど、最終的には可視的なことにすることで何らかの完結する類のものなのです)で、マクルーハン先生に感化された人達がどれだけ高尚に語ろうとも、結局はソコにある類の“ちっちゃな現場”な世界にいたことが俺的にはやっぱり性にあってたみたいだ。
もちょっとバイタリティや頭があれば、マック持ってなんかしよーぜ、なんて話にもなったのかもしれないが、悲しいかなそんな能力とココロの若さとか余裕は持ち合わせていなかったようで。あぁ、このあたりは今の俺のまま、10年前に戻ってみたい気分に駆られるなぁ。


さてさて、と。そんな時代特集の"STUDIO VOICE"誌だ。
とある知人の日記で特集の存在を知って、つい買ってみた。
っていうか、買ってみたものの2ヶ月ほど放置。正月休みに部屋に篭もる生活のなか、ようやく手に取る。
クラウザー様に釣られて手にしたこの2号前のコミック特集が、もうウン振りに購入って世界だったか。某業界方面ヒエラルキー最下層方面で汲々と過ごす俺には、縁がないスノッブな世界なんだけど。
(昔、宝島の音楽評ページでよく読んでました、な)三○格サンとか(初代「雷門ビデ坊」としてミニコミ青年、田尻智を世に出したことでも一部有名な元祖ニューアカ系ライター)野々村○宏サンとか懐かしい名前も見られますが、胸を張って子ども向け仕事アレコレに携わる今のワタシには、正直、それ以上の感慨がないというか。

ところで、表1のビジュアルに「えっ、小○田クン、髪の毛あるじゃん!」という言葉が出かかったが、コレ、昔の写真だろうか?

なんか論旨がグズグズでメチャメチャになりつつ、結局自分の思い出話に終始しちまった気もしつつ、つまりは、その、なんだ、それなりに楽しめますた、という話。
河出のJ文学ガイド本の写真が載ってて一瞬ドキッとしたが(持ってた……)、今にして思うとあのブームはいったいなんだったんだろうw(けど、評に挙げられてた笙野頼子『二百回忌』だけは別格、と一応記しておこう。しっかし、なぜアレがJ文学の括りですかね)

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2006.09.07

男三十ウン才、初めて房総半島を知る

土曜夜。何の気なしに、突然房総半島に行きたいと思い立つ。ツーリングとか大層なものじゃなく、ただ何となくボーっと走ってみたかっただけ。いや、最近、不意に逃げたくなる事情がいろいろあるんだな。
地図と風呂道具だけ持って深夜12時に出発。環七から小岩経由でR14に進入。あとは館山方面へひたすら道なりを走るだけ。
ちなみに千葉市より東とか南はこれまで一度も行ったことがない場所。だっていく理由がないもの。
(あ、いや、その数日前に印旛村に仕事で行っていたか。その話は後日何かの機会で)

面倒なので、あとは写真とキャプションだけでw
ダラダラと並べてみる。

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「ばんや」の目印は、道沿いのでっかい温泉クラゲネオン。まず見落とすことはなかろうて。ちなみに寝るところはない。それでも寝たい向きは湯船で。

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↑館山の先っちょからこんな道が続く。いいねぇ、旅してるって感じだ。

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↑野島崎灯台。この近隣に寝袋さえあれば一晩過ごせるベンチ小屋あり、とメモ。

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↑こういう場所、技術屋方面の誰かさんが好きそうだと思った。

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↑小湊漁港。ホテルに漁師小屋にお土産屋、なんかいろんなものを無理矢理詰め込んだ感が外房の大漁港らしくてヨイ。

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↑なんとなくアリバイ作り。

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↑勝浦の朝市。名物(らしい)。デカイ茄子と梨をゲトー。
 
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↑朝市の場で飯屋をようやく発見。選んだのは(どこでも喰える)アジ干物定食。700円。

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↑あぁ、旅って気分だ。外海、波高ぇ。
 
 


【結論】
・何はともあれ千葉市街から東のR16。木更津までの2車線の幹線道路は流れがよくてスバラシス(名古屋でいうR23、関西でいうR26みたいなもの)。特に深夜は使える。今回最大の発見。千葉、見直した。

・といいつつ、市原から山方面のR297に入って、最短距離で外房に抜けるのが、どうやら房総半島移動の正解っぽい。千葉市内から60キロほど人っ気のない山道をダラダラを走ると、いきなり外房へ。内房は昼間の渋滞が大変そうだし。

・「ばんや」は風呂と飯スポットとして今後積極的に使いたい所存。房総半島だからといって、あちこちでうまい魚飯が食べられるとは限らない。というか、各地域で探ったが、漁港直営の「ばんや」を越えるところはなさそう。


・そして、次回の目標は竹岡式ラーメン。Tさん、ネタをありがとうー。

そういや、館山ってジャックマイヨールが晩年を過ごした地なんだよね。
走りながらふと思い出しただよ。

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2006.08.25

気付いたら6年

ふと気付いたら、東京に生活の拠点を移して6年が経過。

なにか、自分の中では10年くらい住んでいる気分なのだけど、改めて数えてみると、まだそんなくらいしか経っていないのだなぁ。
8月になるとサニーデイ・サービスがすげぇ聴きたくなるのは、当時、たまたまテレビや電話回線すらない引越し直後の部屋で聞いてた曲だから。あぁ、「スロウライダー」は夏というか、8月限定の曲。ワタシにとっては。

名古屋での仕事が終わったあと、ほんっとうに何にも考えずに「とりあえず東京だと、この分野の仕事がラクにできそうだから」と、方々の(いまの職場の)同業他社にメール送って就職活動みたいなことしてたのも今は昔。
いや、実際、仕事先は意外なほどあっさり決まり、住むところも偶然呑み仲間のご実家が経営するアパートでご厄介になることでサクッと決まったのはいいものの(ちなみに今もソコに住む)、入ってからが大変だったんすけどね。え、先割が普通? そこまでやるの? みたいな。なにより自分の元々の水準がアレすぎただけの話なんですがね。

ま、いい意味でも悪い意味でも、欲がなかったのが良かったんですかね。当時すでに27歳だかそんないい歳だったんだけど。頭が悪いのが幸いしたネ。
ありがちな「一旗揚げる」なんてご立派な大志は最初っからなかったし、そもそも東京は名古屋時代の仕事で毎月のように行ってた土地だったので、東京で生活することに対しては特別な気持ちもなんらなくって。ただ、経験値だけは欲しかった。まぁ、皆様のご指導ご鞭撻のお陰でそれなりのレベルは上がったかと思う次第でございます。イイカゲンなところはイイカゲンなままだけどさ。今はそんなこんなで公私共々充実しとります。

最低限の荷しかなかった部屋も、6年掛けて買ったモノが溜まったり、実家から本やらなにやらをチマチマ持って来てるから(普通は逆)、築40年近い物件の底が抜けないかがそろそろ心配になってきた。
なんか気付いたら、なぜか家には猫様もいるし。

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名古屋より届いた訃報

数日迷っていたが、やっぱり書き残しておきたかったので、書いてみることにした。

先日、名古屋方面より知らせが届く。
僕らの溜まり場だった某店の大家さんが亡くなられたとのこと。

30年に亘る間、人生の一時(1日かもしれないし何十年かもしれない一時)に「通過しておいたほうがいいかもしれない場」を与えてくださった方だった。
この空間を通過することで生活とか人生にどれだけ影響があったかは、まったく人それぞれだけど、少なくとも僕にとってはこの店がないと今の生活がなかった。

みんなが同じことを思っているのだろうけど、
僕からは「ありがとうございました」。この一言です。

4ヶ月、大変だったことでしょう。ゆっくりお休みください。
ご冥福を心よりお祈りいたします。


ご逝去の報と同時に9月に解体が決まったという話も聞いた。
『ニューシネマパラダイス』のワンシーンみたく、跡地見たときに泣いちまうんだろな、俺。

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2006.08.16

湯治場への旅(その2)

都心から2時間弱でいける山村って貴重だ。
ひなびた山里が好きな私だ。そんな場を黙々と走るのが好きだ。
人の匂いが少なく、かつ慣れた場でせめて気持ちだけでも癒そうと。
幸い、盆の最中は都心というか東京と名のつく土地から人がごっそり居なくなっているようで、青梅街道はガラ空き。いつもの帰り並(=夜中)のペースで現地着。


ただ、走っているうちに、症状はみるみる酷くなって、どうしましょ…ってな感じになってきた。どうも気合を入れようにも気が乗らないし腰とかヒザが動かない、ってか単に体がダルいだけ。キュー、バオンバオンと減速したあと、身が固まって後の動きが続かず軽く焦ることが何度か。
結局、現地で温泉にも入らず家に戻る。


結論。どうやら「ただの夏風邪」っぽい。
今現在はだいぶ落ち着いた。

なお、奥多摩町では地元祭礼の当日。
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帰る途中、宵祭り真っ最中の場に出くわす。
単車を降りて“旅の人”気分でしばし山里の祭を堪能(毎月いるよなトコロで“旅の人”も何もないんだが)。
ひとりブラブラ歩く途中、警備のお巡りさんに伺ったら、この前日には花火大会があったという。
山里の花火大会といって侮ってはいけない。確かに規模はささやかだけど、音の反響が凄いから意外と面白いんだよ。たいていこういう花火大会は街の中心を流れる川の、河川敷から打ち上げるので間近に観られるのもポイント。隅田川や神宮より遥かに味があってオススメだ(のハズだ)。
しまった、行く日を間違えたか。


【私信】
その内、民宿で一泊する「奥多摩合宿」したいですね>知人各位
車がない人でも大丈夫だ。JRで行けるから何も問題ない(青梅までなら、新宿からの直行電車がフツーに存在する)。さらに“東京都内”という安心感w
なお、なんの合宿にするかは、後から考えよう。

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湯治場への旅(その1)

土曜日からひどい咳。ゴホゴホしっぱなし。
理由ははっきりしていて、何気にここ数週間、タバコ購入が3箱/日に突入していたりする。成人のヒトとしてかなりダメ状態。嫌煙化社会にささやかなアンチテーゼを表明する自分なりの小市民的アクション……という意図は一切なくって、いうなれば自堕落とソレでコレな結果とか。えぇ。
昼飯はザルソバでも問題ないが、タバコを切らすと平穏が失われる。最近そんな日々。忙しいのはまったく構わんのだけど、頭悪い近視眼的な段取りが自分に及ぶのはカンベンな、とばかりに内輪の言質取りが最近の主な仕……って話はまぁいいや。


翌日曜日。
やっぱり咳がとまらない。
俺もうだめかもしれない。里から遠く離れたサナトリウムで人生の残された日を粛々と過ごしながら、窓から見える落葉樹の最後の一葉に一縷の望みを託す、そんな生活を俺はこれから迎えるのかという妄想がひととおり頭の中でモアモアと浮んだ後、続いて「田舎の湯治場で療養しよう」という、ひとつ越えた妄想が頭を支配する。

そうだ、ぼくはこれから旅立つべきだ。
ぼくを支配するあらゆるしがらみを捨てて、卑小なぼくという存在をありのままに受け入れてくれる人知れぬ地で、つげ義春の世界さながらの旅にでるのだ。

 


 
 
 
と、向かった先は……いつもの奥多摩ですが、何か。
飽きもせず、また単車で奥多摩。
最近ほぼマンスリー訪問な奥多摩。

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2006.08.13

3Dパイプ ヤカン

職場の机で仕事用件の長電話している最中の話。
目の前のPCではスクリーンセーバーが起動中。もう何年も飽きるほど見ている「3Dパイプ」をボーっと眺めながら仕事話をしていた最中、なぜか画面に「ヤカン」が現れているのを目撃。

……なんだこれ?

あまりに気になったので電話を切ったあと、すぐさまググってみた。

なんだ、そういうことか。

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東山動物園の話、つづき

じつは動物園に行く楽しみってのは、前エントリで書いたこと以外にもあったりして。
むしろ、動物園本体ではなく、こっちのほうが関心の中心だったりした。
その場所とは……動物園の最寄り駅(東山公園駅)地下街にあったゲーセン。

アップライト時代のインベーダー(インターフェイスがジョイスティックではなく、ボタンの頃)をはじめ、パックマンもクレイジークライマーとか、あの辺りの時代のゲームとの最初の出会いがすべてココだったので、いうなれば、ワタシのアレ気な興味の原点がこの動物園であったと行っても過言じゃなくって。

思えば、ココで“とにかくすごい新作”のゼビウスに出会っちゃったのがトドメというか、本格的に逸脱人生を送るきっかけだったんでしょーかね? 
ナムコのインストカードのデザインにドキドキしたのも懐かしい。(*1)
とにかく、動物園ってのはガキの集まるところなので、こういうところでもガキ娯楽の最先端が集っていたのだな。

動物園とは関係ない話だが、ひとつ隣駅にあった当時の地元スコアラー系ゲーマーの聖地「星ヶ丘キャロット」(ナムコ直営ロケ)を覚えるのはもうちょい後の時代。それは即ち、この方この方の記事に夢中だった時代。当時、本当にお世話になりました、と白々しいニュアンスを含めつつ書いたりして(注:リンク先は微妙に旬なトコロからズレてます)。



 
 

(*1)
懐かしいっていうか、あのデザインは今でも見るとドキドキする。
N社のデザイン部(当時)の仕事は、今になってそのクオリティの秀逸さに驚くばかりです。
つい最近になって、当時の関係者様からそのコダワリ具合の事例をイロイロ聞いて、本気で感動したのだが書けねぇっす……。

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